大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

家康公の略年表

駿府大御所時代

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西暦 和暦 大御所家康公の出来事と事跡
1607 慶長12 66 駿府城を修築し、大御所政治開始。林羅山を将軍秀忠の侍講とし、義直を尾張に移す。イエズス会宣教師パジェスと駿府で会見。駿府城中から出火し、天守並びに殿舎焼失
1608 慶長13 67 伏見の銀座を京都に移す。駿府城再建命令でる。
1609 慶長14 68 オランダ商館の平戸開設を許可。フィリピン総督ドン・ロドリゴ漂着し、駿府城に大御所家康に謁す。頼宣を駿府城主とする。〔元和5年には紀州藩主となる〕、頼房を水戸藩主とする。
1610 慶長15 69 家康、名古屋城築城に着手〔慶長17年ほぼ完成〕。 大御所駿府派墨使節、アダムズの船で太平洋横断しメキシコ経由で家康公のスペイン国王への国書を届ける。
1611 慶長16 70 京都二条城で秀頼と対面。東北諸大名から法例三箇条の誓詞を提出さ、諸国の幕領の年貢米をすべて江戸に納めさせる。スペイン国王使節、駿府城に家康公に謁見し、南蛮時計献上。
1612 慶長17 71 駿府でキリシタンの岡本大八事件おこる。駿府からキリスト教を禁止し全国に号令。秀忠、駿府に下向し家康と対面。
1613 慶長18 72 大久保長安の死の直後、金銀の不正発覚。イギリス 国王使節、駿府の家康公に謁見し、イギリス商館の 開設を許可される。この年、西国諸大名から領地の 検地目録を提出させ、金銀出納奉行をおく。伴天連 追放令を駿府から全国に発布。
1614 慶長19 73 大久保忠隣を改易。方広寺鐘銘事件で大仏殿上棟供養延期。豊臣氏征伐〔大坂冬の陣〕大坂方との講和成立。初代尾張藩主義直名古屋城主となる。大蔵一覧刊行
1615 元和1 74 講和決裂、再び大坂征討(大坂夏の陣)。豊臣秀頼(享年23歳)、淀殿自殺し豊臣氏滅亡。家康は元和偃武を喧伝。「元和一国一城令、禁中並公家諸法度、武家諸法度制定」これらを駿府で家康が作らせ、江戸の二代将軍秀忠の名で全国に発布。
1616 元和2 75 藤枝の駿河田中で放鷹後発病。駿府に戻るが、4月17日薨去、死後、神式をもって久能山に葬るよう命ずる。群書治要刊行
死後に東照大権現の神号をうける。遺骸を日光山に改葬
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