スポット・体験
- 静岡市の温泉&日帰り温泉施設16選

- https://stg.visit-shizuoka.com/feature/detail_66.html
- 家康公の大御所時代、駿府が日本を動かしていた。

- https://stg.visit-shizuoka.com/feature/detail_35.html
- 四百年前の輝きを取りもどした家康公の墓所。

- https://stg.visit-shizuoka.com/feature/detail_9.html



徳川家康公が将軍職を退いた後、大御所として晩年を過ごした「駿府城」の跡地に広がる公園。二重のお堀と石垣に守られた園内は、市民の憩いの場でありながら、天下人が愛した歴史の重みを今に伝えています。復元された「東御門・巽櫓(ひがしごもん・たつみやぐら)」は必見。最新の研究に基づき、城の歴史を深く学べる展示施設としてリニューアルされました。同じく伝統工法…

「おせんげんさま」の愛称で親しまれる静岡浅間神社は、徳川家康公が今川家の人質時代に元服式(成人式)を行い、大志を抱いた 「天下人の原点」とも言える場所。境内に立ち並ぶのは、総漆塗り・極彩色の華やかな社殿群。「東海の日光」と称される美しさは圧巻で、高さ25mを誇る大拝殿をはじめ、26棟もの建造物が重要文化財に指定されています。 現在は平成26年からの「…

明治から昭和の激動期、最後の元老として国を支えた西園寺公望(さいおんじ・きんもち)公。彼が「のんびりと座って魚でも釣って過ごしたい」という願いを込め、晩年を過ごすために建てた別邸がこの「坐漁荘(ざぎょそう)」です。しかしその名とは裏腹に、ここには総理大臣をはじめとする政界の要人が次々と訪れ、重要な国策が話し合われました。世に言う「興津詣(おきつま…

亡き徳川家康公の遺言により御遺骸が最初に祀られた、東照宮の創祀(そうし)となる社。権現造りの原型となった総漆塗り・極彩色の社殿は、その煌びやかさと歴史的価値から国宝に指定されています。もう1つの魅力は、駿河湾を見下ろす天下の絶景です。参拝ルートは2つ。体力に自信があるなら、麓から続く1,159段の石段を登る表参道ルートがおすすめ。「いちいちご苦労さん…

幕末から明治にかけて活躍した任侠・清水次郎長が、清水港振興のため晩年に経営した船宿「末廣」を復元した記念館。若き日の大親分から、明治維新を機に社会事業家へと転身した激動の生涯を今に伝えています。館内には、当時の次郎長英語塾の様子や愛用品など、貴重な資料を展示。英語を学び、世界へ目を向けていた次郎長の先見の明に驚かされるはずです。見学の合間には、次…

教科書にも登場する登呂遺跡は、国の特別史跡に指定された弥生時代の代表的な集落跡。竪穴住居や高床倉庫、水田が広がり、一歩足を踏み入れれば2000年前の暮らしを肌で感じられます。隣接する静岡市立登呂博物館では、重要文化財を含む出土品の展示や体験コーナーが充実。特に、舞錐(まいぎり)法を使った火おこし体験が人気です。煙が上がり、自分の手で火がついた瞬間の感…

江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜公が、激動の幕末を経て、大政奉還のあとの20年余を過ごした屋敷跡に佇む、由緒ある料亭。静岡駅から徒歩約3分という街の中心にありながら、ひとたび門をくぐれば「東海の名園」と謳われた別世界が広がります。最大の魅力は、近代日本庭園の先駆者・小川治兵衛が手がけた池泉回遊式庭園。かつてこの地で慶喜公が水面に浮かぶ月を愛でたことから…

歴史探求と体験・交流を融合した、静岡市の新しい知の拠点。基本展示は徳川家康公を軸に展開され、家康公を育てた戦国大名・今川氏の華やかな文化や駿府城下町の賑わいなど、この地の重層的な歴史ドラマを紹介しています。この施設の目玉となるのは、1階の無料エリアに広がる 「戦国時代末期の道と石垣の遺構」。建設前の発掘調査で奇跡的に発見された本物の「道」が、そのま…

日本で初めて「広重」の名を冠した、浮世絵の美術館です。歌川広重の代表作『東海道五拾三次之内』(保永堂版東海道)、『東海道五十三次』(隷書東海道)、『東海道五十三次之内』(行書東海道)の他、晩年の傑作『名所江戸百景』など、風景版画の揃物の名品を中心に約1,400点を数えます。毎月展示替えを行い、所蔵品を中心にバラエティーに富んだ企画展を開催しています。…

今川家の菩提寺であり、徳川家康公が幼少期(竹千代)に人質として預けられ、学問と武芸に励んだ格式高い禅寺。今川氏の名軍師・太原雪斎(たいげんせっさい) は、家康公の才を早くから見抜き、経綸(倫理哲学)を授けたと伝わります。見どころは、家康公が実際に学んだと伝わる「手習いの間」や、国の重要文化財である本堂(大方丈)。そして、国の名勝に指定された庭園に…

古くから三保の地域を見守ってきた羽衣伝説ゆかりの神社で、羽衣の切れ端が所蔵されているという。延喜式にも記載されており、時の朝廷や源氏、今川氏、武田氏、豊臣氏、徳川氏の武将に篤く崇敬されました。特に徳川幕府は、慶長年間(1596-1615)に壮大な社殿群を造営寄進した。春は桜の名所、夫婦和合・縁結びのパワースポットとしても人気です。

紅葉山庭園は、駿府城公園の歴史的な背景を活かし、大名庭園に見られるような、遊びと楽しさを基調として創られました。駿河の国の自然と名勝を表現した4つの庭を中心に、春は桜、夏は紫陽花、秋は紅葉、冬は椿など、四季折々の風景を見せる趣きを持った庭園です。

徳川家康公像と竹千代君像(家康公の幼名)は、JR静岡駅北口広場内にあります。家康公は、人質として過ごした幼少期と江戸に移るまでの数年間、晩年の大御所時代を駿府城で過ごしました。竹千代君像は、家康公が8歳から19歳まで今川氏の人質として過ごした幼少期の姿。徳川家康公像は、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の五カ国を支配した頃の壮年期の家康公の姿です。風格の…

宇津ノ谷峠の手前には、静かな集落が江戸時代さながらの家並みを見せています。かつては旅人たちで大いに賑わっていました。家々の軒先に掲げた屋号の看板や石畳が往時の風情をしのばせています。

静岡県埋蔵文化財センターは、国や県等の公共工事により残すことができない遺跡を守るため最終手段として発掘調査を行うほか、文化財保護の大切さや調査の成果を、県民の皆さんや子供達に展示会や出前授業を通じて伝えています。 センターには県内各地の出土品から選りすぐりの約750点を、旧石器から江戸時代までの歴史の流れを感じながらじっくりと御覧いただける常設展示…

天守台の大きさや位置、残存状況などの学術的データを得るために、平成28年度から令和3年度までの6年間をかけ発掘調査を実施しました。調査の結果、戦国時代末期、江戸時代の2つの時代の天守台や大量の金箔瓦等が発見されました。大迫力の2つの時代の天守台を同時に見学できます。

永禄12年(1569年)、武田信玄が現在の江尻小学校の敷地に江尻城を築き、その後天正6年(1578年)当時の城将穴山信君(梅雪)は、城を大改築し本格的な城とした。この際、梅雪が江尻城の鎮護の神として社殿を造営したものが、この稲荷神社と言われている。境内には、巨大なサッカーボールの石碑である「日本少年サッカー発祥の碑」があり、清水エスパルスの選手が、シーズン前に必…

臨済宗妙心寺派の古刹で、江戸時代には小島藩主・滝脇松平家の香華寺として藩主の厚い庇護を受けました。小島藩3代藩主・昌信公の墓所があるほか、小島藩関係の歴史的資料も残されている名僧と知られる白隠禅師に縁深い寺としても有名で、白隠禅師が講話で使ったとされる台も残されています。

徳川家康の長男として生まれながら、謀反の疑いをかけられ自害させられた武将・岡崎三郎信康の遺髪が祀られています。当時から参勤交代の大名や朝鮮通信使が、お参りに立ち寄ったとされるお寺には供養塔が残されています。また、朝鮮通信使の一行が宿泊した際の記録も残されています。

興津川右岸の河岸段丘上に立地し(標高約60m)、街道筋(身延道)に広がる小島の町並みを一望できます。宝永元年(1704)に松平信治が陣屋を構えたのが小島藩の始まりで、以後明治元年に上総国に移封になるまでの164年間、安倍・有度・庵原の三十カ村を支配する一万石譜代大名として藩政を展開しました。 中心である御殿の西側から南側にかけて石垣を多用し、三段の郭をも…


もとは蒲原の地で屋号「木屋」を掲げた材木問屋。江戸時代、郡中惣代を勤めた名家。3階建ての土蔵としては全国で5番目に古いもの。当時の耐震工法で造られている。中には江戸時代の貴重な文献も残されていて、建物とともに文化財に指定されています。

薩埵(さった)峠の東口のふもとにあり、その昔、脇本陣、茶亭として多くの文人墨客で賑わった所です。明治元年3月7日、幕臣精鋭隊長山岡鉄舟が官軍に追われた際に、望嶽亭の蔵屋敷で漁師に変装、隠し階段より脱出し、当時最新式フランス製十連発のピストルを残して行ったと言われています。当時と変わらない建物、部屋のたたずまいとピストルが歴史を物語っています。
徳川家康の幼少期、竹千代と呼ばれていた時に、人質として今川義元に対面する前にこの神社に立ち寄り、武運長久を祈願したとされている神社です。駿府城の守護神として尊崇され、長きにわたって徳川家の庇護を受けました。

源頼朝の創建で、戦火により類焼した後、武田信玄が再建した寺。大阪冬の陣の発端となった事件を徳川家康に弁明した豊臣家の家臣、片桐且元の墓があります。5月~7月には静岡県の天然記念物「モリアオガエル」の産卵が見られます。

宝台院別院は、昔は照久寺と呼ばれていました。久能山東照宮の西側に位置し、かつて徳川家康公の側近く仕え、信頼が厚かった榊原照久の菩提寺です。元和2年(1616年)4月17日、徳川家康が駿府城で亡くなると、2代将軍秀忠は直ちに久能山に東照宮を造営させました。この際、榊原照久が初代神主に任命され、久能山東照宮の祭主を勤めました。

徳川家康の側室である、お愛の方の菩提寺。お愛の方は家康の苦難の時期を温かく支え、家康の家臣からも人望の厚かった糟糖の妻として知られています。また、本尊は白本尊と呼ばれ、芝増上寺の黒本尊とともに家康の守り本尊となった阿弥陀如来像があります。家康の自画像も所蔵しています。

奈良時代に創建された東海道屈指の名刹。国の名勝に指定されている庭園、家康公が接ぎ木したといわれる臥龍梅のほか、梵鐘・山門・書画など多くの指定文化財があります。境内の五百羅漢は島崎藤村の作品にも登場しています。また、朝鮮通信使ゆかりの寺として国の史跡に指定されています。

奈良時代に名僧、行基が千手観音像を納めたとされる、駿河七観音(安倍七観音)のひとつ。静岡茶発祥の地でもある足久保の山の上にある。駿河七観音はここから始まったとされる。

奈良時代に名僧、行基が千手観音像を納めたとされる、駿河七観音(安倍七観音)のひとつ。静岡市中心市街地を上から眺める徳願寺山の上にあり、今川義元の祖母にあたる北川殿の墓がある。

奈良時代に名僧、行基が千手観音像を納めたとされる、駿河七観音(安倍七観音)のひとつ。静岡県立図書館と県立美術館のある丘の裏手、日本平で有名な有度山の懐にある。別名「ひらさわの観音さん」。

静岡市葵区慈悲尾にある増善寺は地蔵菩薩様を御本尊とし今川氏親公の菩提寺として知られる曹洞宗の古刹。駿河七観音や駿河三十三観音霊場の札所であり、かつては真言宗の慈悲寺(じひじ)が置かれていた。増善寺の歴史は古く、今から1300年ほど前の723年に行基が夢のお告げにて刻まれた千手観世音菩薩を安置し、真言宗として慈悲寺を発足。これが駿河七観音の霊場であり、現…

平安時代に名僧、行基が千手観音像を納めたとされる、駿河七観音(安倍七観音)のひとつ。もとは現在久能山東照宮のある久能山の山頂にあって「久能寺」といったが、武田信玄によって現在の地へ移され、江戸時代末期までに荒廃したものを山岡鉄舟が再興し「鉄舟寺」となった。現在、境内のみ拝観は可能。ただし、本堂や宝物殿などの立ち入りは禁止となります。(2025年1月28…

奈良時代に名僧、行基が千手観音像を納めたとされる、駿河七観音(安倍七観音)のひとつ。弘法大師(空海)を開祖として仰ぎ、7世紀に開かれた学問の寺であった。江戸時代までは大いに栄えたが、明治の神仏分離令と廃仏毀釈運動などによって現在は観音堂のみが残る。静岡浅間神社の廿日会祭で奉納される稚児舞は、徳川家康公によって建穂寺から伝えられたもの。

平安時代の名僧、行基が千手観音像を納めたとされる駿河七観音(安倍七観音)のひとつ。奈良時代に開かれたという。石段を15〜20分登った高台にあり、駿河湾を望むことができる。

日本武尊(やまとたけるのみこと)を御祭神とする神社で、毎年9月20日に例大祭が斎行される。その前後の休日には、龍勢花火(静岡県無形民俗文化財)が盛大に打ち上げられる。

漆器店の倉庫として建築され、これまで静岡大火や戦災を乗り越えてきました。赤レンガが七間町のまち並みにアクセントを加え、特徴ある景観をつくりだしています。※敷地外からの見学のみ。内部見学(一部のみ)は店舗利用の方以外できません。【静岡市景観重要建造物】


1934年に建築され、象牙色のタイルを基調にテラコッタを多用した外壁と、モザイクタイル貼りのドームを持った塔が印象的な建造物です。国の登録有形文化財にも指定されています。

由比の中心地に位置する本陣公園。江戸時代、由比宿には本陣(大名が宿泊する施設)1軒と脇本陣1軒、旅篭屋が32軒あり、相当な賑わいを見せていたと伝えられています。表門、石垣、木塀、馬の水飲み場などは当時のたたずまいを彷彿させ、生活文化を知る貴重な体験ゾーンとなっています。園内の「東海道由比宿交流館」は、カルチャー、観光、レストの3つのエリアから成り立っ…
