大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所の町・駿府城下町の誕生

四神相応から見た駿府城下町

大 中 小
  • 一 東 青竜の神がやどる川(巴川)
  • 二 南 朱雀の神がやどる池か海(安倍川を海に見立てている)
  • 三 西 白虎の神がやどる道(東海道)
  • 四 北 玄武の神がやどる山(竜爪山)

駿府の地形を先の方角に当てはめると、駿府の町は北の竜爪の山々が「玄武」(力の源泉となる山)となる。竜爪山は確かに山並みの中心に位置し、東西の峰が駿府を取り巻き、その一つが浅間神社のある賤機山から竜爪山へと連なる。さらにその峰は東に向かって高山に連なり、瀬名方面の梶原山へと半円を描く形で続く。

南に位置するのが「朱雀」(低地で作物の収穫できる繁昌の場所)である。これは駿府城大手門から南に開ける城下町を指し、ここが「開ける地」を意味する空間として使われた。朱雀の神が宿る場所、それが安倍川ということになる。一方、東には青龍(生命の源)としての河川を必要とするが、これは巴川が理想的な形で江尻の方角に流れている。次に「白虎」(重要な道路)は、東海道が駿府城下町の中を貫通し伝馬町方面に抜ける設定となってつくられている。

以上のことから、駿府城下町は「四神相応」の考え方を若干変形しながらも、駿府の地形に反映させて新しい駿府城下町を誕生させたと考えられる。また城下町特有の「魔除け」の意味を持つ「鬼門(きもん)」であるが、これは東北(丑寅(うしとら))の方角を吉(きち)〔縁起がよいこと〕とされ、その方角を沓谷蓮永寺の方角に当てている。今川時代の鬼門は、沓谷竜雲寺が当てられていた。今川時代と家康時代では、駿府城の拠点となる位置がずれているためである。

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