大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大航海時代の駿府の家康公

家康、アダムズを召喚

大 中 小

リーフデ号は波間に揺れ動く無人船か、それとも幽霊船のようであったという。見慣れぬリーフデ号の漂着は、たちまち噂となって広がり家康の耳にも届くことになる。家康は、早速アダムズを大坂城に呼び寄せ、航海の様子や来日の目的などをいろいろ聞き質(ただ)した。家康にしてみれば、関ヶ原の戦いの間際の忙しいときでもあった。

スペイン人やポルトガル人は、厄介なイギリス人とオランダ人がこのとき初めて来日したことに焦った。イギリスとオランダは、彼らの敵国だったからである。英語やオランダ語を話すものがいないため、結局家康はスペイン人やポルトガル人たちに通訳させた。彼らは正しく通訳するどころか、アダムズたちを海賊としてただちに処罰ないし処刑するよう家康をたきつける始末であった。この結果アダムズは、囚人たちの獄舎に投獄されさんざんな目にあったという。

家康はスペイン人たちの姑息な通訳で、真実が覆い隠されていることを見抜かないはずがなく、正しく通訳することを厳命し再度アダムズに聞き質した。こうして、前後3回アダムズを召喚すると、アダムズの話に興味を示し、家康は彼を解放したばかりか、リーフデ号を堺に呼び寄せ関東にまで回航させた。このとき家康は意外なところに注目した。リーフデ号の積み荷である。500挺の火縄銃、5,000発の砲弾、300発の連鎖弾、それに5,000ポンドの火薬などみな家康の目に止まった。どれも世界最新鋭の軍備を備えていたことを家康は見逃さなかった。

この時期は日本を二分して争う関ヶ原の合戦の前夜だけに、やすやすとスペイン人やポルトガル人の口車にそそのかされて、アダムズを手放すほど単純な家康ではない。家康は関ヶ原の合戦のとき、リーフデ号の先端兵器を活用したという記述もある。アダムズとの会見で家康は、彼の人格と能力を見抜いた。彼がそれまでのスペイン人やポルトガル人とは異なる人種であることや、オランダやイギリスとの外交や貿易の重要性もすでに視野に入れアダムズと接した。

家康の目的はアダムズを徳川政権の枠組みに取り入れ、外交・貿易・技術などの顧問として厚遇し彼のノウハウを生かすことにあった。当時のパイロットと言えば、今日のスペースシャトルの船長に相当する能力の持ち主だ。

次へ 戻る

ページの先頭へ