大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大航海時代の駿府の家康公

(コラム)「北方航路」を発見せよ

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当時ヨーロッパの国々では、マゼラン海峡や喜望峰を通らなくてもヨーロッパから日本に直接行くことができる「北方航路」イギリス国王ジェームズ一世なるものが真剣に検討されていた。現実には存在しないが、イギリスではジェームズ国王がこのルートを探すことを命じていた。アダムズもノルウェー方面を探検し探したこともあった。またイギリス使節として来日したジョン・セーリスなどにも命じていた。

そこでアダムズは家康がもしこの北方航路を発見すれば、家康が世界の支配者になれるだろうと進言し、北方航路発見のため日本では手に入りにくい航海に必要な品物リストを提出して、それらを揃えることを要望したという。具体的には次の物である。「網具類、帆船の布、松脂、羅針盤、砂時計、説明用地球儀一対、世界の海図または世界地図若干枚数」(「アダムスの手紙」より)

以上の品を調達するよう家康に要望したアダムズは、次のような記録を残している。「若し閣下(家康)が、予に此等を供給せらるるならば、神助により、予が此の如き名誉ある勤務を怠るものにあらざることを承知せらるべし」(「慶元イギリス書簡」より)。

このようにアダムズは、自信に満ちてこの計画達成が可能であることを家康に伝えた。そのために家康は、蝦夷の松前藩に紹介状を送り、アダムズに協力させたという。

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