大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

「駿府町奉行所跡」(静岡市役所静岡庁舎)

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駿府城下町の史跡巡り、出発は「駿府町奉行所跡」から

静岡市役所静岡庁舎 葵区役所葵区追手町5-1、JR静岡駅から徒歩約10分

駿府町奉行所(『東征大総督館御進発絵巻』より)駿府町奉行所は初め二ヶ所あった。大手組と、元禄15年〔1702〕に廃止された横内組である。現在の静岡市役所・葵区役所のある場所が、幕末まであった大手組である。(1の③「横内御門と駿府町奉行所横内組」参照)。駿府町奉行は無事任務を努めあげると、やがて大坂町奉行や京都町奉行に抜擢される旗本のエリートの登竜門であった。
 駿府町奉行所の役人は、与力〔六騎〕・同心〔60人〕それに清水港に入港する船舶の事を取り仕切る水(か)主(こ)〔50人〕が配置されていた。与力の屋敷は屋形町の稲荷小路に一人450坪の宅地が与えられ、町民生活と深くかかわる仕事に従事していた。与力の配下には同心が置かれ、同心は下級武士に属し扶持は低く二十俵二人扶持であった。有名な十返舎一九は駿府の生まれで、同心重田氏の子供である。(両替町に生家の碑がある。)  
  同心の下働きをする者が岡っ引きあるいは目明かしと呼ばれ、同心の仕事を助けていた。彼ら岡っ引きあるいは目明かしは、武士ではなく行商人や左官あるいは桶屋等が多かったといわれている。駿府では慶安事件以後、今日の交番のように同心が町人の中に住んで住民を監視していたという〔『甲子夜話』〕。

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