大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

呉服町

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呉服町 葵区の呉服町を本通りから歩いて下さい

今川時代から存在する駿府の町名で、今川時代から友野与左衛門が商人頭〔しょうにんがしら〕として駿府の町を統括していた。家康公も駿府城下町の町割〔都市計画〕では、友野(判野とも)が今川時代からの影響力を持っていたため、近世江戸時代初頭に始まった城下町再興に貢献したという。
 このように、慶長の駿府城下町造りにも呉服を商う商人町として深く関与したことから、呉服座の名前が踏襲され呉服町となった。家康公在城の頃には、佐藤彦五郎も呉服の御用達をなし、後に江戸小石川吐富坂に移ったという。
ところが『呉服師由緒書』〔著者不詳〕写本一巻という書物にも、徳川家出いりの呉服師として後藤縫殿丞・茶屋四郎次郎・亀屋源太郎・上柳彦兵衛・茶屋長らの名前があることから、呉服町の可能性もあったのかも知れない。歴史の面白いところは、いろいろ考えを廻らしてみることである。

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