大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ

大御所・家康公史跡めぐり

 井宮(いのみや)神社

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井宮(いのみや)神社 葵区井宮町179、JR静岡駅から安倍線、美和大谷線バス約15分妙見下下車すぐ

井宮神社井宮神社は、昔は妙見寺と呼ばれた建(た)穂寺(きょうじ)の末寺であった。昔から賤機山の麓に沿って流れる安倍川に堰(せき)〔堤防〕を作り、灌漑用として田畑に給水するため水の神様を祀っていた大切な場所である。元来この辺りは籠(かご)の鼻と呼ばれ、「上を籠上(かごうえ)、下を籠下(かごした)」と呼んでいた。
家康公は籠の鼻に三河から妙見(みょうけん)菩薩(ぼさつ)を勧請し、ここに立派なお堂を寄進して妙見菩薩を信仰し、朝夕礼拝しては季節の供物(くもつ)を供えさせていたという。
 慶長13年〔1608〕家康公は、建穂寺学頭の快弁法印(かいべんほういん)に命じて完成した建物の落慶法要開眼入(らっけいほうようかいげんにゅう)仏式(ぶっしき)〔落成式と仏像に魂を入れる儀式〕を行わせ、その時の記録として一巻の巻物として記録させたという。家康公の寄贈した立派な厨子が、昔は堂内に保管されていたという。井宮神社は水神様でもあったことから、水にまつわる事件が起こるとこの神社にお参りしては解決を祈願したという。
 このため安倍川右岸の千代村と山崎村は地続きの村で、洪水が起こる度に田地の境が不明となって村境をめぐって対立が起こった。そこで両村は、洪水で地境が不明になっても分かるよう、千代山の先端と井宮神社を直線で結んだ場所を村境とする議定書(ぎていしょ)〔取り決め〕を取り決めたという古文書が千代の旧家に残されている。

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